2010年1月

板垣 退助

板垣 退助 1837年 ~ 1919年

高知県出身の武士であり、政治家。
明治時代になってからは、自由民権運動の推進を行った。

自由民権運動というのは、明治初期の政治が薩摩藩や長州藩の人達が
主導だったため、議会を設立し国民に開かれた政治にしよう!という運動。

自由民権運動の遊説中に暴漢に襲われた際、
「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだといわれている。
(ちなみに、この時には死んでいません。)

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(写真は高知城内にある板垣退助像)

Posted by kamifuji | 2010年1月30日 12:29 |

掛川城 その2

掛川城 その2 ~日本100名城-42-~

冠木門の前に到着。けっこう急な階段でした。
天守は目の前です。
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天守からの眺め。山の上にあるため、周りがよく見えます。
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天守からの眺め、その2。
目の前に見えている屋敷が、掛川城二の丸御殿です。
国の重要文化財に指定されています。
この御殿は、公的な式典の場所であり、藩主が住んでいた場所でもあり、
藩の政務をつかさどる場所でもあります。

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Posted by kamifuji | 2010年1月26日 14:52 |

掛川城 その1

掛川城  ~日本100名城-42-~

静岡県掛川市にある城。
東海道の重要な拠点とされていた。

掛川の地は、今川家の重臣、朝比奈 泰煕(あさひな やすひろ)が治めていた。

その後、徳川家がその地を統治し、家臣の石川 家成・康通が治めた。

その後、豊臣政権化では、山内 一豊がその地を治めた際に、近代的な城下町として整備され、現在の城の天守閣がつくられたと言われている。
山内 一豊が高知に移封になってからは、徳川家の譜代の大名が治めていくことになった。

なお、この時代の天守は江戸時代に地震で倒壊し、1994年(H6年)に、高知城を参考に、木造での復元がなされた。


橋を渡るころには、天守の姿が見えてきました。手前に見えるのが太鼓櫓(たいこやぐら)で、
奥に見えるのが天守です。
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小高い山の上に天守がそびえています。
このように平らな土地にある山の上に城をつくった場合、
「平山城」と呼ばれています。
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天守へ登る階段です。

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Posted by kamifuji | 2010年1月24日 14:50 |

前田 利家

前田 利家 1539年 ~ 1599年

戦国時代に活躍した武将・大名。
豊臣政権化では、五大老の一人として政務をつかさどった。
五大老とは、前田利家のほか、徳川家康・毛利輝元・宇喜多秀家・小早川隆景(死後は上杉景勝)の5人の豊臣家を補佐する家老という立ち場の人

(現代でいうと、豊臣秀吉が内閣総理大臣とすると、それを補佐する
財務大臣などの立場)

後に、金沢を中心とした北陸の地において、加賀100万石として、加賀藩の藩祖となる。

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(写真は、石川県の金沢城にある前田利家像)

Posted by kamifuji | 2010年1月23日 14:22 |

歴史好きになった理由

私は歴史が好きである。

その理由を考えてみると、子供の頃の影響が大きいことがわかる。

まず、ゲーム。
光栄の「信長の野望」や「三国志」といったゲームを一日中、やっていた気がする。
これによって、日本の旧地名や戦国時代の武将の名前を覚えた気がする。
特に「信長の野望 武将風雲録」は、どの大名でもクリアできるほど、遊んでいた。

次に、マンガ。
横山 光輝の「三国志」の全60巻を何十回と読んだ気がする。
これ以外にも「織田信長」・「武田信玄」などのマンガや、
「陸奥圓明流外伝 修羅の刻」によって知った知識も多い気がする。
「花の慶次」も何度も読みました。

そして、小説・活字。
上記のゲームとマンガによって培った知識をもって、やっと小説を読んだ気がする。
特に司馬遼太郎の本が非常におもしろく、歴史上の人物象をイメージしたり、時代背景を
知ったりするのに大変役立った。

あとは父親の影響。
父親が買ってきた、小学館の歴史群像シリーズを眺めていた。

最近でも、戦国無双や戦国バサラなどのゲームがはやっているようです。さすがに、あそこまで武将のキャラクターを変えてしまっては、いかがなものか・・・と思うこともあります。
ですが、何事も楽しいと思って、まずは入っていくものです。
最近の学生も、こういったゲームからでも歴史に興味を持ち、自分で追加的に学んでいけば自然と歴史を好きになるのでは、と思います。

年表の暗記のようなことだけだったら、歴史は嫌いだったでしょう。
歴史に限らず、無味乾燥なものほど、つまらないものはありませんからね。
歴史は、時代背景や人物の状況を知って、動いていくドラマととらえると面白いと思います。

Posted by kamifuji | 2010年1月20日 18:56 |

千代と馬

千代と馬

山内一豊の妻、千代
その千代が、嫁入りの際の持参金(orへそくり)で買ったといわれる名馬。
この名馬を夫の一豊に渡し、夫がそれによって、戦争で武功を上げ出世していったという逸話がある。
この妻が陰ながら夫を支えることを「内助の功」といい、賢妻とされた。

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(写真は、高知城内にある、千代と馬の像)

Posted by kamifuji | 2010年1月19日 12:28 |

山内 一豊

山内 一豊  1545年or1546年 ~ 1605年

戦国時代の武将であり、土佐藩(現在の高知県)の初代藩主。
織田、豊臣、徳川と主君を変えながらも、最後は一国の大名として生き残った人物。
2006年大河ドラマ「功名が辻」の主人公でもあった。
一豊の妻、千代も「内助の功」として夫を支えた人物として非常に有名。
特に、嫁入りの際の持参金(orへそくり)で、夫に名馬を買い、夫の出世を影ながらささえたという逸話があり、賢妻として名高い。

高知城内には、山内一豊のりりしい騎馬武者象がある。

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あまりにもかっこよかったので、違うアングルからも取りました。
騎馬武者象はかっこいいですね。

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Posted by kamifuji | 2010年1月17日 12:27 |

金沢城 その2

金沢城 その2 ~日本100名城-35-~

城内は非常に広いです。

鶴の丸休憩所から、橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓を撮影。

左手に見えている木造のものが、鶴の丸休憩所です。

奥にある白い建物群のうち、
手前に見えている白い建物部分が橋爪門続櫓であり、奥に見えている白い建物部分が菱櫓と呼ばれています。
この櫓と櫓を結んでいる部分が、五十間長屋と呼ばれています。

間(けん)とは、昔の長さを表す単位で、1間が約1.82メートルです。
そのため、五十間は、50×1.82=91メートルの長さということです。
現在の表現に直すと、「91メートル長屋」といった感じですね。

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菱櫓を撮影。
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少し離れた場所から、
橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓を中心に撮影。
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Posted by kamifuji | 2010年1月16日 14:56 |

金沢城 その1

金沢城 その1 ~日本100名城-35-~

石川県金沢市にある金沢城。

戦国時代では、加賀一向一揆によって、本願寺の拠点である「尾山御坊」となっていた場所。
その後、織田信長の家臣、佐久間盛政によって、尾山御坊が落とされると、「金沢城」と名称を変えました。

豊臣政権化では、前田氏がその地を治めました。
徳川政権化においても、加賀藩として、前田氏の統治が続きました。

なお、金沢城の隣には、三名園で有名な「兼六園」があります。


うっそうと茂る緑の中、石垣が静かにたたずんでいます。
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右に見えている道を渡ると、石川門という城の入口になります。
石川門は重要文化財に指定されています。

目の前に見えるのが、石川門脇櫓です。
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石川門脇櫓のアップです。鉛を使った瓦のため、屋根が白っぽく見えます。
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Posted by kamifuji | 2010年1月15日 14:54 |

津軽 為信

津軽 為信(つがる ためのぶ)  1550年 ~ 1608年

東北地方で力のあった南部氏から独立し、弘前地域を治めた戦国武将。
豊臣政権化、徳川政権化の時代を生き抜き、弘前藩の初代藩主となる。

青森県には、この津軽為信以降の津軽氏が治めた津軽地方と、
南部氏の一族が治めた南部地方とがあります。
この2つの地域が包括する青森県は、この頃の時代から互いにライバル視(敵視?)するようになったという話です。

いつの時代にも、隣町には・・・、隣県には・・・隣国には・・・と相手を見つけては、「あいつには負けたくない」というライバル視するのが人間のサガのようですね。

それが、戦争や殺し合いではない形で、結果的にお互いが高みにいけるのであれば、いいことなのかもしれませんが・・・。


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(弘前城東門近くの弘前文化センター正面入口前の銅像)

Posted by kamifuji | 2010年1月14日 21:08 |

坂本 竜馬

坂本 竜馬  1836年 ~ 1867年

高知県(旧:土佐藩)出身の幕末の志士。
幕末の志士の中でも、特に人気が高い。
これは、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」などによる影響も大きい。
私も好きな小説の一つです。

坂本竜馬の功績としては、
当時、犬猿の中であった、薩摩藩と長州藩を協力させることに成功し、「薩長同盟」を取りまとめた。
海運会社をいち早く組織し、亀山社中(のちに海援隊)をつくった。
船中八策という、幕藩体制の政治をやめ、日本を一つにしようとする政策を策定し、これにより大政奉還の方向へと進むこととなった。
京都の近江屋において、中岡慎太郎とともに、何ものかに暗殺される。

坂本竜馬の逸話の一つ。

あるとき、友人の一人が、腰に長い刀をさしていました。
それを見た龍馬は、
「そんな長い刀では、いざという時に役にたたないよ。」
といって、自分のもっていた手頃な刀をみせた。
「なるほど」と思った彼は、長い刀を短い刀に変えました。

しばらくして彼が龍馬に出会った時に、忠告の通り刀を変えたことを話すと、
龍馬はふところからピストルを取り出して、
「これが、ピストルという、西洋の新しい武器だ。」
と見せた。

それからしばらくしたのち、彼が龍馬と出会った時に、
「これからは、武器だけでは役にたたない、学問が必要だから、今はこれを読んでいる」
と、万国公法(国際法に関する本)を見せたという。

真実かどうかは不明だそうだが、
会うたびに、常に古きを捨て最新のものを身につけている、
さすがは坂本竜馬だ、といえる逸話である。

坂本竜馬といえば、日本で最初に新婚旅行に行ったことでも有名ですね。
ちなみに旅行先は、ハワイではなく鹿児島です。

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(写真は桂浜にある坂本竜馬像)

Posted by kamifuji | 2010年1月13日 12:26 |

はりまや橋

はりまや橋

高知県高知市の中心部にある橋。
漢字では播磨屋橋と記載される。

高知県の民謡「よさこい節」の歌詞に、その名が登場する。
「土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た よさこい よさこい」

「日本3大がっかり名所」の一つ。
ちなみに、3大がっかり名所には、高知のはりまや橋の他に、
北海道 札幌市の「時計台」が必ず上がる。

3つ目には、諸説あるが、「那覇の守礼門」がよく名前がでるが、
それ以外にも、「名古屋のテレビ塔」・「京都の京都タワー」を上げる人もいる。

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Posted by kamifuji | 2010年1月12日 07:26 |

桂浜

桂浜

高知県高知市の南の海に面している桂浜
高知市の中心部からのバスで行きました。

桂浜には、高知県(旧:土佐)出身の坂本竜馬像があります。
坂本竜馬は、幕末の英雄の中でも特に人気があります。

海に向かって立つ銅像です。写真では伝わりにくいですが、けっこう大きいです。

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桂浜の海です。
潮の流れが速いため、遊泳は禁止されているそうです。

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岬の先端に小さなほこらがありました。
これは、「海津見神社」通称「龍王宮」と呼ばれているものだそうです。

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Posted by kamifuji | 2010年1月11日 02:24 |

高知城 その3

高知城 ~現存12天守~ ~日本100名城-084-~

天守へと通じる屋敷の中です。昔の長屋のようなものでしょうか?

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天守の目の前まで到着しました。

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天守からの景色です。高知の街並が見えます。
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Posted by kamifuji | 2010年1月10日 12:22 |

高知城 その2

高知城 ~現存12天守~ ~日本100名城-084-~

高知城の石垣には、「石樋(いしどい)」と呼ばれる板が、石垣から飛び出しています。
この板は、雨が降った際に、石垣に直接雨が当たらないようにするために設けられたものだそうです。雨の多い地域ならではの工夫だそうです。

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天守を撮影。江戸時代に造られた現存天守とは思えない、非常に立派な天守です。

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天守までもう少しの場所です。目の前の屋敷をくぐった先が、天守の入口です。

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Posted by kamifuji | 2010年1月 9日 01:21 |

高知城 その1

高知城 ~現存12天守~ ~日本100名城-084-~

高知県高知市にある城郭。
(旧国名:土佐)

築城主は、山内一豊。
山内一豊は、NHKの2006年の大河ドラマ「功名が辻」の主人公でもありました。

水掘、城壁の奥に、天守が姿を表しています。

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高知城の追手門(おうてもん)です。追手門とは、城の「正門」を意味し、大手門(おおてもん)と記載されることもあります。
城とは、戦国時代における軍事施設ですから、その正門は防御壁としての役目もありました。
高知城の追手門も非常に堅固な門ですね。

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高知城内には、板垣退助の銅像がありました。高知出身の武士であり、明治以後は政治家として活躍した人物です。
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Posted by kamifuji | 2010年1月 8日 12:18 |

小倉城 その3

小倉城

天守閣を、パチリ。
なかなかよく撮れています。(自画自賛)

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水に映った天守を取りました。
本当はさかさまに映っていたのですが、わかりやすく写真をひっくり返しました。
なかなか、幻想的な写真です。

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「小倉城その2」でも記載しましたが、城の近くにある紫川と呼ばれる川の写真です。
川のそばにも噴水があったりと、いろいろと工夫された川辺になっていますね。

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Posted by kamifuji | 2010年1月 7日 13:16 |

小倉城 その2

小倉城

天守からの景色です。
小倉はとても発展している街でありながら、きれいに整備がされている街でもありました。

結構大きいビルもありながら、城の近くにある紫川の両岸はきれいに舗装されていました。

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天守からの景色、その2

何やら櫓(やぐら)か何かが見えると思って写真に撮りました。
実際は、小倉祖霊殿という、葬祭場のようです。

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天守からの景色、その3

何やら、はいからな建物があると思って写真に撮りました。
これは、「リバーウォーク北九州」と呼ばれる、映画館なども入った複合施設のようです。

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Posted by kamifuji | 2010年1月 6日 13:15 |

小倉城 その1

小倉城

福岡県北九州市小倉北区にある城郭。

城内の水掘では、噴水があがっていました。

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天守へと続く石段

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天守へと到着。
天守の上方部分に黒くふちどられた箇所があります。
まるで、黒サングラスをしたお城のようにも見えます。
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Posted by kamifuji | 2010年1月 5日 13:13 |

弘前城 その3

弘前城 ~現存12天守~ ~日本100名城-004-~

弘前城内の敷地はとても広いです。

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東門を撮影。
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弘前城から少し離れた箇所に、津軽為信公の銅像を発見。
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Posted by kamifuji | 2010年1月 4日 21:07 |

弘前城 その2

弘前城 ~現存12天守~ ~日本100名城-004-~

小ぶりながらも、しっかりとした天守です。
この天守は現存天守と呼ばれています。
1810年に建てられた天守だそうです。
来年で、築200年といったところでしょうか。とんでもない年数ですね。

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天守を違う方向から撮影。

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天守の入口方向から撮影。
入り口側から見ると、それほど冴えない印象を受ける。
やはり城は、石垣や堀との一体感が美しく見えるためであろうか。

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Posted by kamifuji | 2010年1月 3日 21:06 |

弘前城 その1

弘前城 ~現存12天守~ ~日本100名城-004-~

青森県弘前市にある城郭。
東北地方で唯一現存している天守。

敷地内は、現在、弘前公園となっており、桜の名所としても有名。
ゴールデンウィークの時期に桜の見ごろを迎えるため、その時期はとても賑わうとのことです。
(ただし、私が行った時期は真夏の8月のため、桜の写真はありません。残念)

三の丸追手門
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三の丸追手門の前には、弘前城の碑石がありました。
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木の後ろに隠れているのが・・・
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現存12天守とは、国宝四城(姫路城、松本城、犬山城、彦根城)に、高知城、丸岡城、松江城、宇和島城、備中松山城、松山城、弘前城、丸亀城の8つを加えた昔の状態をほぼ維持したまま残している貴重な天守の城をいいます。

Posted by kamifuji | 2010年1月 3日 01:04 |

五稜郭 その3

五稜郭  ~日本100名城-002-~

五稜郭タワーの最上階です。

ここには、函館戦争で活躍した、土方歳三の像がありました。
(逆光により非常に見づらくてすみません。)
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そういえば、
五稜郭タワーの入口では、土方歳三についての説明文がありました。

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五稜郭タワーから、五稜郭の景色です。
確かに星形ですね。
なかなか、いい景色です。
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Posted by kamifuji | 2010年1月 2日 17:46 |

五稜郭 その2

五稜郭  ~日本100名城-002-~

五稜郭の敷地内です。

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五稜郭の敷地内では、函館奉行所の復元工事をしているようでした。(2008/8時点)
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五稜郭の横にドーンとそびえる「五稜郭タワー」です。
五稜郭の全体を見下ろすための建てられたタワーで、この上から眺める景色は絶景でしょうね。
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Posted by kamifuji | 2010年1月 1日 17:44 |

現存12天守とは

現存12天守とは

江戸時代以前から残っている下記の12の天守のこと。

城名        場所           状態
弘前城      青森県弘前市   重要文化財
松本城      長野県松本市   国宝
丸岡城      福井県坂井市   重要文化財
犬山城      愛知県犬山市   国宝
彦根城      滋賀県彦根市   国宝
姫路城      兵庫県姫路市   国宝・世界遺産
備中松山城   岡山県高梁市   重要文化財
松江城      島根県松江市   重要文化財
丸亀城      香川県丸亀市   重要文化財
伊予松山城   愛媛県松山市   重要文化財
宇和島城     愛媛県宇和島市 重要文化財
高知城      高知県高知市   重要文化財

なお、上記のうち、国宝と記載があるものを「国宝四城」という。
また、姫路城は、「世界遺産」にも指定されている。

ちなみに、なぜ12しか残っていないかというと、
1.明治6年(1873年)に廃城令が公布され、多くの城の建造物が失われたため。

2.廃城令以後も残った天守は60余あったようが、世界大戦の際などに、日本軍の駐屯地(ちゅうとんち:軍事用の基地)としての使用されたため、天守の取り壊しなどが起こったため。

3.第二次大戦時には米軍は天守を軍事施設とみなしたので、空襲によって焼失されることが多かった。

そのため、現在、現存している12の天守は、大変貴重な建造物といえる。

Posted by kamifuji | 2010年1月 1日 12:48 |

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