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カテゴリー:銅像・人物紹介の最近のブログ記事

大砲

大砲 万右エ門(おおづつ まんえもん)  1869年 ~ 1918年

大相撲の第18代横綱。
宮城県白石市出身。
尾車部屋。

大砲という漢字から、「たいほう」という名前かと思いきや、
「おおづつ」でした。

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(写真は、宮城県白石市、白石城内にある大砲の像)

Posted by kamifuji | 2010年3月 4日 22:07 |

佐竹 義堯

佐竹 義堯(さたけ よしたか)  1825年 ~ 1884年

江戸末期から明治にかけての人物。
出羽国 久保田藩12代藩主(最後の藩主)

なお、出羽国(でわのくに)は、現在の秋田県と山形県に相当する場所。
また、久保田藩は秋田藩とも呼ばれている。

関ヶ原後は、佐竹氏がこの秋田の地を治めていた。

現在の秋田県秋田市にある久保田城(現在は秋田市千秋公園)の中に
この象はある。

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<写真は、久保田城(秋田市千秋公園内)にある佐竹 義堯の銅像>

Posted by kamifuji | 2010年2月27日 21:13 |

武田 斐三郎

武田 斐三郎(たけだ あやさぶろう) 1827年 ~ 1880年

日本初の洋式城郭「五稜郭」の立案・設計を行った人物。

伊予大洲藩(現在の愛媛県大洲市)出身の学者である。
緒方洪庵の適塾で蘭学
江戸で佐久間象山から洋式兵術を学んだ。

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(写真は五稜郭タワー内にある銅像)

Posted by kamifuji | 2010年2月13日 17:48 |

土方 歳三

土方 歳三(ひじかた としぞう) 1835年 ~ 1869年

江戸末期、新撰組の「鬼の副長」と呼ばれ恐れられていた。

その後、幕臣として、新政府軍と戦い、函館戦争において戦死。

土方歳三が出てくる書籍。
小説:「燃えよ剣」上・下巻 司馬遼太郎
マンガ:「陸奥圓明流外伝 修羅の刻」 2~3巻 川原 正敏 

私はこの2つを読んで土方のファンになりました。

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(写真は、五稜郭タワー内にある銅像)

Posted by kamifuji | 2010年2月 4日 17:49 |

榎本 武揚

榎本 武揚(えのもと たけあき)  1836年 ~ 1908年

幕末から明治にかけての幕臣、政治家。

薩摩・長州藩を中心とした新政府に対して、徳川幕府の幕臣として抵抗。
北海道函館の五稜郭を中心に、北海道を独立国にしようと試みた。
しかし、新政府軍との、函館戦争に敗れ、降伏。

優秀な人物であったことから、助命され、新政府の官僚として活躍。
逓信省の大臣の際には、「〒」(郵便)のマークを新設したという説もある。


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(写真は五稜郭タワー内にある銅像)

Posted by kamifuji | 2010年2月 2日 17:47 |

板垣 退助

板垣 退助 1837年 ~ 1919年

高知県出身の武士であり、政治家。
明治時代になってからは、自由民権運動の推進を行った。

自由民権運動というのは、明治初期の政治が薩摩藩や長州藩の人達が
主導だったため、議会を設立し国民に開かれた政治にしよう!という運動。

自由民権運動の遊説中に暴漢に襲われた際、
「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだといわれている。
(ちなみに、この時には死んでいません。)

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(写真は高知城内にある板垣退助像)

Posted by kamifuji | 2010年1月30日 12:29 |

前田 利家

前田 利家 1539年 ~ 1599年

戦国時代に活躍した武将・大名。
豊臣政権化では、五大老の一人として政務をつかさどった。
五大老とは、前田利家のほか、徳川家康・毛利輝元・宇喜多秀家・小早川隆景(死後は上杉景勝)の5人の豊臣家を補佐する家老という立ち場の人

(現代でいうと、豊臣秀吉が内閣総理大臣とすると、それを補佐する
財務大臣などの立場)

後に、金沢を中心とした北陸の地において、加賀100万石として、加賀藩の藩祖となる。

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(写真は、石川県の金沢城にある前田利家像)

Posted by kamifuji | 2010年1月23日 14:22 |

千代と馬

千代と馬

山内一豊の妻、千代
その千代が、嫁入りの際の持参金(orへそくり)で買ったといわれる名馬。
この名馬を夫の一豊に渡し、夫がそれによって、戦争で武功を上げ出世していったという逸話がある。
この妻が陰ながら夫を支えることを「内助の功」といい、賢妻とされた。

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(写真は、高知城内にある、千代と馬の像)

Posted by kamifuji | 2010年1月19日 12:28 |

山内 一豊

山内 一豊  1545年or1546年 ~ 1605年

戦国時代の武将であり、土佐藩(現在の高知県)の初代藩主。
織田、豊臣、徳川と主君を変えながらも、最後は一国の大名として生き残った人物。
2006年大河ドラマ「功名が辻」の主人公でもあった。
一豊の妻、千代も「内助の功」として夫を支えた人物として非常に有名。
特に、嫁入りの際の持参金(orへそくり)で、夫に名馬を買い、夫の出世を影ながらささえたという逸話があり、賢妻として名高い。

高知城内には、山内一豊のりりしい騎馬武者象がある。

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あまりにもかっこよかったので、違うアングルからも取りました。
騎馬武者象はかっこいいですね。

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Posted by kamifuji | 2010年1月17日 12:27 |

津軽 為信

津軽 為信(つがる ためのぶ)  1550年 ~ 1608年

東北地方で力のあった南部氏から独立し、弘前地域を治めた戦国武将。
豊臣政権化、徳川政権化の時代を生き抜き、弘前藩の初代藩主となる。

青森県には、この津軽為信以降の津軽氏が治めた津軽地方と、
南部氏の一族が治めた南部地方とがあります。
この2つの地域が包括する青森県は、この頃の時代から互いにライバル視(敵視?)するようになったという話です。

いつの時代にも、隣町には・・・、隣県には・・・隣国には・・・と相手を見つけては、「あいつには負けたくない」というライバル視するのが人間のサガのようですね。

それが、戦争や殺し合いではない形で、結果的にお互いが高みにいけるのであれば、いいことなのかもしれませんが・・・。


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(弘前城東門近くの弘前文化センター正面入口前の銅像)

Posted by kamifuji | 2010年1月14日 21:08 |

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