大砲 万右エ門(おおづつ まんえもん) 1869年 ~ 1918年
大相撲の第18代横綱。
宮城県白石市出身。
尾車部屋。
大砲という漢字から、「たいほう」という名前かと思いきや、
「おおづつ」でした。

(写真は、宮城県白石市、白石城内にある大砲の像)
Posted by kamifuji | 2010年3月 4日 22:07 | パーマリンク
白石城
三階櫓からの景色その2
城内には広いスペースがあり、芝がきれいに生えています。

三階櫓からの景色その3
城内を撮影。
写真の右手上段にある建造物が、白石城大手二門です。
それと、左手上段に見える倉のような建造物が、白石城歴史探訪ミュージアムと呼ばれる資料館や売店、3Dシアターなどが入っている建物です。

城内には、力士の銅像がありました。
「たいほう」ではなく、「おおづつ」と読むようです。

Posted by kamifuji | 2010年2月28日 22:06 | パーマリンク
白石城
天守、いや櫓の前に到着。

三階櫓を撮影。

三階櫓からの景色。

Posted by kamifuji | 2010年2月28日 22:04 | パーマリンク
白石城
別名:益岡城
宮城県白石市にある城。
仙台藩伊達氏の支城として、代々、片倉氏が治めていた城郭。
徳川政権化では、一国一城制であったが、その例外として、支城として存続が続いた。
白石城へ向かう途中にあった、旗。
「俺が行かずは誰が行く 伊達の先陣 片倉 小十郎 見参」
なかなか、かっこいい旗です。
片倉 小十郎とは、伊達政宗の家臣で、伊達家の軍師としても活躍した人です。
片倉家の当主は代々、小十郎の名前を受け継いだといわれています。

天守へ向かう途中です。

写真は、再建された三階櫓です。
実際は天守と同じですが、上記の一国一城制もあったため、
当時も、あくまで櫓(やぐら)として呼ばれていたようです。

Posted by kamifuji | 2010年2月28日 21:14 | パーマリンク
佐竹 義堯(さたけ よしたか) 1825年 ~ 1884年
江戸末期から明治にかけての人物。
出羽国 久保田藩12代藩主(最後の藩主)
なお、出羽国(でわのくに)は、現在の秋田県と山形県に相当する場所。
また、久保田藩は秋田藩とも呼ばれている。
関ヶ原後は、佐竹氏がこの秋田の地を治めていた。
現在の秋田県秋田市にある久保田城(現在は秋田市千秋公園)の中に
この象はある。

<写真は、久保田城(秋田市千秋公園内)にある佐竹 義堯の銅像>
Posted by kamifuji | 2010年2月27日 21:13 | パーマリンク
久保田城 ~日本100名城 -009- ~
久保田城の本丸 表門です。

城内の敷地です。きれいに整備されています。
朝早い時間に撮ったので、朝日が差し込んでいます。

城内にあった、「佐竹 義堯」(さたけ よしたか)の像です。
この方は、久保田藩12代藩主であり、久保田藩の最後の藩主です。

Posted by kamifuji | 2010年2月24日 21:12 | パーマリンク
久保田城 ~日本100名城 -009- ~
秋田県秋田市にあった城郭。
現在は、千秋公園となっている。
関ヶ原の合戦後、移封により、佐竹氏が
久保田藩として、この地を治めていた。
城内にある池を撮影。

久保田城、御隅櫓を撮影。

同じく、久保田城、御隅櫓を撮影。
木々に阻まれて、ちょっと見えづらくなってしまいました。

ちなみに久保田城には天守閣は存在しなかったようです。
Posted by kamifuji | 2010年2月22日 21:10 | パーマリンク
上山城
天守からの景色です。

天守からの景色その2です。
城内に足湯が楽しめる場所があります。
左手に見える敷地の中に、屋根のある小さな小屋がありますが、
ここで自由に足湯ができるようです。

天守のアップ。
きれいなお城です。

ちなみに、上山市は、山形県の山形市と米沢市の中央くらいにあります。
Posted by kamifuji | 2010年2月20日 21:02 | パーマリンク
上山城 (かみのやまじょう)
別名:月岡城
上山氏が治めていた城。
最上家、伊達家などの攻防により、城主が目まぐるしく変わったようです。
現在の天守は、模擬天守(後からつくったもの)です。
山形県上山市にあります。
降車駅は、奥羽本線かみのやま温泉駅です。
そこから、歩いていけます。
テクテク歩いていると、上山城の天守が見えてきました。
上山城は、平山城(平らなところに山を設けて、その上に建てた城)のため、少し遠くからでもよく見えます。

天守の真下まで来ました。

天守を正面から撮影。

Posted by kamifuji | 2010年2月15日 20:59 | パーマリンク
津軽 為信(つがる ためのぶ) 1550年 ~ 1608年
東北地方で力のあった南部氏から独立し、弘前地域を治めた戦国武将。
豊臣政権化、徳川政権化の時代を生き抜き、弘前藩の初代藩主となる。
青森県には、この津軽為信以降の津軽氏が治めた津軽地方と、
南部氏の一族が治めた南部地方とがあります。
この2つの地域が包括する青森県は、この頃の時代から互いにライバル視(敵視?)するようになったという話です。
いつの時代にも、隣町には・・・、隣県には・・・隣国には・・・と相手を見つけては、「あいつには負けたくない」というライバル視するのが人間のサガのようですね。
それが、戦争や殺し合いではない形で、結果的にお互いが高みにいけるのであれば、いいことなのかもしれませんが・・・。

(弘前城東門近くの弘前文化センター正面入口前の銅像)
Posted by kamifuji | 2010年1月14日 21:08 | パーマリンク
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